食走想遊-くうそうあそぶ 三浦半島旅暮らす

2014-201904まで続けていたブログの三浦半島・令和版。東京生まれ東京育ちの自分は三浦半島を旅しているような心持ちで暮らしています。

2019 5/10㊎ 美しい言葉たちと過ごす。

5/10㊎ 美しい言葉たちと過ごす。

 

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朝、いつもの時間に目が覚める。

体調、悪し。

予定2つキャンセル。

1日、美しい言葉たちと過ごす。

気持ちと身体が、ニュートラルになる、のを、感。

 

山路を登りながら、こう考えた。

に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。

意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、

寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。

あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い

草枕 夏目漱石

 

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、

真にえらい仕事--。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。

ヘルマン・ホイヴェルス 人生の秋により「最上のわざ」

 

大地は僕ら自身につてい万巻の書よりも多くを教えてくれる。

なぜなら大地は僕らに抗うからだ。

人間は障害に挑むときにこそ自分自身を発見するものなのだ。

ただし、障害にぶつかるには道具が要る。鋤や鍬が要る。

農夫は土地を耕しながら、自然の神秘を少しずつ暴いていく。

そうやって手にする真実は、普遍的な真実だ。

それと同じように、定期航空路線の道具、つまり飛行機も、

古くから存在するありとあらゆる問題に人間を直面させる。

 

アルゼンチンでの最初の夜間飛行中に見た光景が、

今でも僕の目に浮かぶ。

暗い夜の中に、

平原に散らばる数少ない灯火の光だけが星のように煌めいていた。

闇の大海原に瞬く光の一つ一つが、

今、そこに人間の意識という名の軌跡が存在していることを教えてくれた。

あの家では、誰かが本を読んだり、瞑想したり、

打ち明け話を続けたりしていた。

別の家では、たぶん誰かが宇宙空間を測定しようとして、

アンドロメダ星雲にかんする計算に神経をすり減らしていた。

あそこでは、誰かが誰かを愛していた。

詩人、小学校教師、大工の家の灯と思しき、

この上なく慎ましい灯もあって、

平原にぽつぽつと点るそんな光の一つ一つが、

それぞれの生きる糧を求めているように見えた。

人間の大地 サン・テグジュペリ 

 

この土地で暮らしてゆこう。

そう思うと、周りの風景が少し変わってみえた。

春に南から飛んでくる渡り鳥、足元の花々や周りの木々、

いやふく風さえも自分と親しいつながりをもち始めている。

その近さはまた、今という座標軸にとどまらず、

遠い過去の時間へも伸びてゆく。

旅の終わり 星野道夫

 

 

また明日から自分らしくきちんとすすんでいこう。

そんなことを、想。